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vertigo.shin

スペースマン再び




Netflixでちょっと前に見た『スペースマン』。見たすぐに、えらいものを喰らったようで、すぐに書きつけてはみたのだけど、なぜかそのままになっていた。



いつも通り、まだ見てない人は読まない方が良いです。



・・・




この文字通り宇宙を舞台にした夫婦セラピーの話を見ている最中、自分の頭の中で同時に流れていた作品があって、それは何を隠そう宇宙一物悲しい夫婦映画『ブルーバレンタイン』だった。



疲れ切って目が窪んで酒に溺れては死にかけていく両方の夫たち、それに反してまるで決断という線を自分でくっきり決めては徐々に自らの生に光を導いていく妻たち。



始まりがあって終わりがあり、終わりがあって始まりがあり、その二つの時間軸が歪んで溶け合って、どこに着地するかわからない点でも二つの作品は似ているな・・・などとひとり考えていたのだったが、いやなんのことはない、自分はキャリー・マリガンとミシェル・ウィリアムズというふたりの役者をごっちゃにしていただけであり、でも一見繊細で柔らかそうだがダメな男を捨ててひとりですくっとこの世界に立つ女性のイメージは、なんとなくそのふたりから共に感じられるものではある。



「夫婦関係に悩む宇宙飛行士が謎の生物と出会う物語」。



検索すればこの映画の紹介文にはそう書いてあって、まさしくその通りなのだが、誰もが想う問題はやはりその謎の生物についてであって、ハヌーシュと名付けられたその生物にどうにも引き寄せられていく。



最初はグロい幻影でしかないクモ生物も、気がつけば誰もいない宇宙ではいなくてはならない存在になり、つまりとどまるところ、これはひとつのバディムービーであり、人とあの生物がそれぞれの手でしっかと絡み抱き合うシーンがクライマックスであるのは間違いない。そして泡のように粒のようにバディは散っていく。




そんな泡沫のように美しいバディ感に比べれば、夫婦仲なんてものはいかんせん頼りなくて信じられない代物であって、自分の出世や顕示欲のことしか考えられなかったアダム・サンドラー演ずる船長が、これから現実の世界に戻っても本当にいい夫でいられるかどうかは甚だ怪しいと自分は訝しむひとりだ。なぜといって、こういう男は大抵同じ過ちをもう一度、二度繰り返すものだから。




でもそこで彼がきっと思い出すのがハヌーシュの存在と宇宙で交わしたあの抱擁であり、たぶん彼は宇宙で出会った異世界の生物の微妙な表情や声色の変化を脳裏にフィードバックさせては、生まれてくる子どもにそのことを語り継ぎ、きっとそのことが同じ過ちを犯す歯止めになるのではと勝手に想像するのだった。

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