
僕の父はその昔、小さな飲食店をやっていました。
短い間でしたが、友人や仲間たちがよく集うような、カレーやお酒なんかを出す喫茶店めいた店で、いつもわいわいガヤガヤ賑やかでした。
なにしろ父はその頃から赤いベストを着こなすいなせなひとで、それを着てカウンターにすくっと立ってはコーヒーを淹れている姿を今でも覚えています(や、今でも元気ですが)。
僕はその頃、まだ保育園に通っているくらいに幼くて、記憶は曖昧なのですが、その赤いかっこいいマスター姿は妙に記憶にあるのです。赤が似合う男性っていいな、と確かに思いました。
お店を閉めたあと、父は別の仕事について現在の実家にある家を建てるのですが、そこで喫茶店のカウンターや椅子や照明をそのまま使って内装を組みます。
つまり、家に喫茶店みたいなカウンターや照明だとかがあって、僕はそういうもの囲まれて育ったんですよね。自分にとってはあまりに普通な家の景色だったのだけど、今思えばあまり普通じゃなかったのかもしれない。
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自分が『vertigo』という雑貨店を開いて10年くらいたって、気がつけばこっそりカレーなんかを出すようになった。最初はイベントの時にだけ出していたのだけど、だんだんその回数は増えていって、日常のようになっていく。
もちろん、それはお客様たちから少なからず好意を頂いたのがなによりの理由だけども、たぶん自分は父の姿を知らないうちに追っていたのだ、といまにして思うのだった。
…なんで気がつかなかったのだろう。息子である自分の店にそれらを受け入れることを。輪廻みたいな、願いみたいな、見えないその想いを。ふとしたとき、家にあるカウンターがなんだか自分を待っているように思えてきたのだ。
飲食の営業許可について初めて真剣に向き合ったのはようやくそのとき。そして、よく想ってみたら、あまりに身近な方の近しい人々が内装だとかを手がけているのに気づく。ああ、そうか。このことはもうあらかじめ決まっていたんだな、といまさらのようにまた気づく。
昔から自分はなにをするにもひとより時間がかかる。気づくのが遅くて、というか、気づかないふりをしてそのままやりすごして、腹の底から頷かないと動かない。いや動けない。
でもそれと同時に考える。
ひとは誰もが歳を重ねるにつれてだんだんその本質に近づいていく。逃げても逃げても、その本質の影みたいなものは否が応でも追いかけてくる。
もし、たまねぎみたいに剥いても剥いても、その中心になにも無かったとしても。たぶんそれを剥いていくことが、つまり本質を自ら知ろうとすることが、生きることそのものであるのだろう、と。きっとその結果、ナーダ、MU、無に、僕らは却っていくのだと。
そして、血の道しるべはこれからも続いていく。続いていくといいなあ。我が息子たちよ。頼んだよ。
ええと、そんな感じで、vertigoのカウンターが設置、飲食がスタートするのです。
